戸田即日庵の歴史
成り
立ち
江戸時代、尾張藩は十二代藩主徳川斉荘の時代に
裏千家十一代玄々斎を迎え、
斉荘公(知止斎)を初め、家老である
玄々斎の実兄渡辺又日庵も裏千家茶道を学びました。
尾張藩御広敷用人であった戸田不肖斎自寛も
裏千家茶道と尾張美笑流華道を学び、
嫡男戸田正寛一楽へと受け継がれていきます。
江戸と伊勢松阪では長井同玄斎と
長井鼎玄斎が玄々斎の業躰(内弟子)として
裏千家茶道の普及に勤め、田中宗卜へ引き継がれていきました。
明治維新の後、一楽は東京に出て、
日本橋茅場町に裏千家茶道の道場を開きました。
関東大震災、戦災を経て、戦後間もなく
麹町に道場を移転致し現在に到ります。